万座の夏、僕が僕を選ぶまで 第六部 帰る場所
第六部 帰る場所
― 神崎家の新しい未来 ―
春。
群馬県。
万座高原にも少しずつ暖かな風が吹き始めていた。
真由は高校の卒業式を終えたばかりだった。
校門の前で友人たちと写真を撮る。
笑い声が響く。
だが真由は時々スマートフォンを確認していた。
一通のメッセージを待っていたからだ。
通知が鳴る。
送り主はアル。
すぐに画面を開く。
『卒業おめでとう。』
『今日は行けなくてごめん。』
真由は笑った。
『仕方ない。』
『そっちも卒業でしょ。』
数秒後。
写真が送られてくる。
スタンフォード大学。
卒業ガウン姿のアルだった。
真由は思わず吹き出す。
『似合わない。』
すぐ返事が返ってくる。
『ひどい。』
『本当なのに。』
二人はしばらく笑い合った。
数週間後。
スタンフォード大学卒業式。
アルは壇上から景色を見ていた。
教授たち。
友人たち。
家族。
昔なら考えられない光景だった。
以前の自分は研究しか見えていなかった。
しかし今は違う。
卒業証書を受け取る。
会場から拍手が響く。
客席ではジョナサンが立ち上がっていた。
そして。
珍しく笑っていた。
卒業式の後。
ジョナサンが声をかける。
「おめでとう。」
アルは驚いた。
父がそんな言葉を直接言うのは珍しい。
「ありがとう。」
少し照れながら答える。
ジョナサンは続けた。
「よく頑張った。」
アルは一瞬言葉を失った。
ずっと欲しかった言葉だった。
何年も前に聞きたかった言葉だった。
だが今聞けたことが嬉しかった。
一方その頃。
ロンドン。
アレックスの家。
エマは四歳。
ノアは三歳。
家の中は毎日騒がしかった。
以前のアレックスなら耐えられなかっただろう。
しかし今は違う。
エマが飛びつく。
「パパ!」
「どうした?」
「見て!」
ぐしゃぐしゃの絵を見せる。
アレックスは笑う。
「上手だな。」
「本当!?」
「本当だ。」
妻がその様子を見て微笑む。
かつて家にほとんど帰ってこなかった男は、 もうそこにはいなかった。
夏。
神崎温泉旅館。
旅館の前には何台もの車が並んでいた。
神崎家全員が集まる日だった。
ジョナサン。
恵子。
アレックス一家。
アル。
そして真由と桜井家。
旅館は大騒ぎだった。
夕食会場。
長いテーブルが並ぶ。
料理が所狭しと並んでいた。
エマが騒ぐ。
ノアも騒ぐ。
陸が一緒に騒ぐ。
真由が呆れる。
「うるさい。」
アルが笑う。
「いつも通り。」
健一がビール片手に言う。
「賑やかな方がいい。」
祖母も笑った。
食事の途中。
ジョナサンが立ち上がった。
全員が静かになる。
ジョナサンは少し考えた。
こういう場は苦手だった。
だが今は違う。
伝えたいことがあった。
「みんな。」
視線が集まる。
「ありがとう。」
アレックスが驚く。
アルも驚く。
ジョナサンは続けた。
「私は長い間。」
「家族より仕事を選んできた。」
「勝つことばかり考えていた。」
静寂。
「でも。」
「今は違う。」
「この時間の方が大切だと思っている。」
「本当にありがとう。」
それはジョナサンなりの告白だった。
食後。
旅館の屋上。
アルと真由が並んで星空を見上げていた。
昔と同じ場所。
だが二人はもう子供ではなかった。
真由が聞く。
「卒業したね。」
「うん。」
「これからどうするの?」
アルは空を見る。
少し考える。
そして答えた。
「研究は続ける。」
「でも。」
「人生も続ける。」
真由が笑う。
「変な答え。」
「そうかな。」
「でもアルっぽい。」
二人は笑った。
その夜。
ジョナサン。
アレックス。
アル。
三人は露天風呂にいた。
ジョナサンが言う。
「来年も来よう。」
アレックスが笑う。
「父さんが言うとはな。」
「悪いか。」
「いや。」
「嬉しい。」
アルも頷く。
「賛成。」
星空が広がっていた。
祖父リチャードはもういない。
だが祖父が最後に残した願いは叶っていた。
神崎家は。
ようやく家族になれたのだから。
そして万座高原は、 いつまでもその帰る場所であり続ける。
―― 完 ――
帰る場所がある。
それこそが、 人生で最も大切な財産なのかもしれない。
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