万座の夏、僕が僕を選ぶまで 外伝第三部 勝ち続ける者たち
外伝第三部 勝ち続ける者たち
― ジョナサン・神崎の告白 ―
ニューヨーク。
冬のマンハッタンは冷たかった。
アルは病院の最上階にある特別病室の窓から、 灰色の街並みを見下ろしていた。
祖父リチャード・神崎。
神崎一族の当主。
ニューヨーク最大級の法律事務所を築いた男。
現在、危篤状態だった。
その知らせを受けて、 一族は世界中から集められた。
ロサンゼルスから父ジョナサン。
ロンドンから兄アレックス。
そしてアル。
家族全員が揃ったのは何年ぶりだっただろう。
病室の前。
ジョナサンは一人で立っていた。
背筋はまっすぐ。
表情はいつも通り無い。
アルは父の隣へ立った。
「父さん。」
「どうした。」
「祖父さん、大丈夫かな。」
ジョナサンは少しだけ考えた。
そして静かに答えた。
「分からない。」
アルは驚いた。
父が分からないと言うのを初めて聞いたからだった。
しばらくして祖母が現れた。
上品な老婦人。
英国の田舎貴族の出身だった。
彼女はジョナサンの手を握る。
「お願いがあるの。」
「何だ。」
「事務所を継いでほしい。」
ジョナサンは黙った。
神崎法律事務所。
一族百年の歴史。
ニューヨーク法曹界の象徴。
誰もが当然引き継ぐと思っていた。
だがジョナサンは答えなかった。
その夜。
アルは偶然、 父と祖母の会話を聞いた。
「ジョナサン。」
「うん。」
「あなたは昔から真面目すぎるわ。」
ジョナサンが苦笑する。
「母さんに言われるとは思わなかった。」
祖母は窓の外を見た。
「あなたはお父さんに似すぎたの。」
「そうかな。」
「ええ。」
「勝ち続けることだけを教えられた。」
「でも幸せになる方法は誰も教えてくれなかった。」
ジョナサンの脳裏に昔の記憶が蘇る。
十歳。
野球の決勝戦。
負けた。
ベンチで泣いた。
その時、 父リチャードが言った。
「泣くな。」
「次に勝て。」
それだけだった。
抱きしめられたことはなかった。
褒められた記憶も少ない。
ただ。
勝て。
もっと勝て。
それだけだった。
翌朝。
病室。
危篤状態だった祖父が目を開く。
家族全員が集まる。
祖父は弱々しく言った。
「ジョナサン。」
「ここにいます。」
「事務所を継げ。」
病室が静まり返る。
一族全員がうなずく。
誰もが当然だと思っていた。
しかし。
ジョナサンは首を振った。
「断ります。」
全員が凍り付く。
アレックスが目を見開く。
アルも息を飲む。
祖母ですら言葉を失った。
祖父が怒鳴る。
「何故だ。」
ジョナサンの声が震える。
アルは初めて見た。
父が震えている姿を。
「私は勝ち続けました。」
「勉強も。」
「スポーツも。」
「弁護士としても。」
「全部。」
祖父は黙る。
ジョナサンは続けた。
「でも。」
「幸せじゃなかった。」
病室の空気が変わる。
アレックスが顔を上げる。
アルも父を見る。
「私は自分の息子たちにも同じことをした。」
「結果を求めた。」
「成果を求めた。」
「勝つことばかり教えた。」
ジョナサンはアルを見た。
「すまなかった。」
アルは何も言えなかった。
父から謝罪されるなど想像したことがなかった。
祖父が小さく呟く。
「そうか。」
それは、 一族の王が初めて負けを認めた瞬間だった。
祖父は目を閉じる。
そして静かに言った。
「好きに生きろ。」
病室は静まり返った。
ジョナサンの目から涙が落ちた。
アルは人生で初めて、 父が泣く姿を見た。
病院を出た後。
マンハッタンの夜景が広がっていた。
アレックスが聞く。
「父さん。」
「なんだ。」
「これからどうする?」
ジョナサンは少し考えた。
そして言った。
「万座へ行こう。」
アレックスが驚く。
アルも驚く。
母の恵子も驚く。
ジョナサンは続けた。
「家族で。」
「みんなで。」
「今度こそ。」
言葉が続かない。
しかしアルには分かった。
父はやり直したいのだ。
家族として。
父親として。
一人の人間として。
その夜。
アルはホテルの窓から夜景を見ていた。
祖父が守ってきたもの。
父が失ったもの。
兄が探していたもの。
そして自分が万座高原で見つけたもの。
全部が少しずつ繋がっていく。
そんな気がした。
明日から、 神崎家は少し変わる。
勝ち続けるためではなく。
幸せになるために。
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