夏の札に、君を追う ― 第四部「決勝のあとで」
夏の札に、君を追う
第四部「決勝のあとで」――夏の団体戦、二回戦から決勝。そして、二人の未来へ
第一章 第二回戦――追われる側の重さ
一回戦を勝ち上がった僕たちは、控室へ戻った。
喜びに浸っている暇はなかった。
次の対戦相手は、昨年も上位に進出した強豪チームだった。
部長がホワイトボードを見ながら言う。
「ここからは、一戦ごとに相手の圧が強くなる。自分の札だけじゃなく、チーム全体を見よう」
僕は深く息を吸った。
昨年は、追う側だった。
今年は違う。
優勝経験のあるチームとして、僕たちは追われている。
勝たなければならない。
その思いが、知らないうちに身体を硬くしていた。
対戦が始まる。
序盤、僕は慎重になりすぎた。
一枚、二枚と相手に先行される。
けれど、隣の紗季は落ち着いていた。
自分の札だけを見ているようで、実はチーム全体の流れを感じ取っている。
紗季が一枚を鋭く取った。
その音が、僕の緊張をほどいた。
「蓮、いつも通りでいいよ」
その一言で、僕は自分を取り戻した。
攻めるべきところでは攻める。
守るべきところでは、焦らない。
一枚ずつ積み重ねる。
終盤、チームの勝敗は僕たち二人の結果にかかっていた。
紗季が勝った。
残る僕の試合も、最後の数枚になった。
最後の一枚を取った瞬間、チームの勝利が決まった。
二回戦突破。
僕は畳の上で小さく息を吐いた。
紗季が笑っている。
「蓮、戻ってきたね」
「何が?」
「いつもの蓮の取り」
僕は笑った。
この人には、僕の変化が全部見えている。
第二章 準々決勝――二人で見る景色
準々決勝。
試合前、僕たちは並んで座っていた。
紗季が小さな声で言う。
「ねえ、蓮」
「うん?」
「私たち、去年より遠くまで来たね」
僕は会場を見渡した。
強豪ばかりが残っている。
その中に、僕たちのチームがいる。
「まだ終わってないよ」
「分かってる」
紗季は笑った。
「だから、もう少し一緒に行こう」
その言葉が、不思議なくらい心に残った。
試合は激戦になった。
相手は一枚一枚を確実に積み上げてくる。
こちらも簡単には崩れない。
僕は得意の攻めを繰り返しながら、団体戦としての判断を続けた。
紗季も苦しい場面で粘った。
終盤、紗季が勝利を決めた。
僕はその直後、自分の最後の札を取った。
勝利。
ベスト四。
紗季が僕のところへ来る。
「あと二つだね」
「うん」
「決勝まで行こう」
「絶対に」
拳を軽く合わせた。
けれど、触れた指先が離れたあとも、なぜかその感触が残った。
僕たちは、勝つたびに近づいている。
札だけではなく、心の距離まで。
第三章 準決勝――それぞれの頂へ
準決勝の前夜。
宿舎のロビーで、僕と紗季は少しだけ話した。
「蓮は、本当に名人を目指すんだね」
「うん。前は兄貴を越えることが目標だった。でも今は、自分がどこまで行けるかを確かめたい」
紗季は静かに頷いた。
「私もクイーンを目指す」
「うん」
「でも、少し怖い」
意外だった。
いつも強気な紗季が、そんなことを言うとは思わなかった。
「どうして?」
「目標を口にしたら、本当にそこを目指さないといけなくなるから」
僕は少し考えた。
「じゃあ、僕も一緒に言うよ」
「何を?」
「僕は名人を目指す。紗季はクイーンを目指す。二人とも、本気で」
紗季は笑った。
「それなら、逃げられないね」
「うん」
翌日の準決勝。
僕たちは勝った。
決勝進出。
歓声の中で、紗季が僕の手を一瞬だけ握った。
すぐに離れた。
でも、その一瞬だけで十分だった。
これはもう、ただの幼馴染への励ましではない。
そう思ったけれど、僕は何も言わなかった。
第四章 決勝――五人の夏
決勝戦。
会場の空気は、それまでとはまるで違っていた。
静かだった。
だからこそ、札が畳を打つ音が大きく響く。
僕たちは円陣を組んだ。
「ここまで来たんだ。最後まで自分たちのかるたをやろう」
五人で声を合わせた。
「お願いします!」
試合が始まった。
序盤は互角。
中盤に入り、相手が一歩前に出た。
僕は一枚を失った。
続けてもう一枚。
苦しい。
それでも、焦らなかった。
去年の僕なら、ここで無理に流れを取り戻そうとしていた。
今年は違う。
団体戦では、五人の時間が流れている。
僕一人の勝ち負けだけではない。
紗季を見る。
彼女は集中していた。
そして一枚を取った。
チームの流れが変わった。
一人が勝つ。
もう一人が続く。
その連鎖がチームを押し上げる。
終盤。
勝敗は、最後まで分からなかった。
紗季の試合が先に終わった。
勝利。
残る僕たちの結果次第で、優勝が決まる。
僕の前に札が二枚。
相手も二枚。
読み手の声が響く。
一音目。
僕の手が動いた。
札を払う。
取った。
あと一枚。
会場が静まり返る。
僕は呼吸を整えた。
最後は、取りに行く。
読み。
一音。
身体が自然に反応した。
右手が伸びる。
札が飛ぶ。
そして――。
決まった。
僕たちのチームが、優勝した。
仲間が立ち上がる。
歓声が上がる。
僕はしばらく、何も言えなかった。
紗季が走ってくる。
「蓮!」
「紗季……」
彼女は笑っていた。
目には涙が浮かんでいる。
「勝ったね」
「うん。みんなで勝った」
紗季は頷いた。
そして、今度は迷わず僕の手を握った。
周囲には仲間がいる。
だから長くは続かなかった。
それでも、僕には十分だった。
この夏の一枚は、たぶん一生忘れない。
第五章 決勝のあと――二人だけの時間
表彰式が終わり、会場を出た。
夕方の空は、夏の色をしていた。
僕と紗季は並んで歩いた。
「疲れたね」
「うん」
「でも、楽しかった」
「僕も」
しばらく無言で歩いた。
紗季が突然、言った。
「蓮」
「何?」
「来年も、同じチームで戦いたい」
僕は笑った。
「もちろん」
「それだけじゃなくて……」
紗季は少しだけ立ち止まった。
「個人戦でも、お互い頑張ろう」
「名人とクイーン?」
「うん」
僕も頷いた。
「いつか本当に、その舞台まで行こう」
「一緒に?」
僕は少しだけ考えてから答えた。
「同じ道を歩くって意味なら、一緒に」
紗季は笑った。
「それ、なんか蓮らしい」
僕たちは再び歩き始めた。
肩が触れそうな距離。
けれど、触れない。
その距離が、今の僕たちにはちょうどよかった。
恋人ではない。
でも、互いの未来を語れる関係にはなった。
第六章 兄・怜――追う背中から、並ぶ仲間へ
数日後。
実家に戻ると、兄の怜がいた。
医学部の勉強で忙しいはずなのに、僕たちの優勝をニュースで知っていたらしい。
「優勝、おめでとう」
「ありがとう」
怜は僕を見て、少し笑った。
「昔と顔が違うな」
「そう?」
「昔は俺を追いかけてる顔だった」
僕は黙った。
「今は、自分の先を見てる」
その言葉は、以前にも聞いた気がした。
けれど今は、その意味が分かった。
兄は僕の目標ではない。
僕が超えるべき存在である必要もない。
兄には兄の道がある。
僕には僕の道がある。
そして、その道の隣には紗季がいる。
「兄貴」
「ん?」
「俺、名人を目指すよ」
怜は少し驚いたあと、笑った。
「そうか。じゃあ、今度は俺じゃなくて、自分と戦え」
「分かってる」
第七章 これから――名人とクイーンへの道
夏の団体戦は終わった。
けれど、僕たちの本当の戦いは、これからだった。
僕は名人を目指す。
紗季はクイーンを目指す。
それは簡単な道ではない。
勝ち続けるだけでは届かない。
一つ一つの大会で経験を積み、自分の弱点を知り、勝負の精度を上げていく必要がある。
僕には、まだ課題がある。
強い相手との終盤での集中力。
自分の攻めをさらに磨くこと。
団体戦と個人戦を両立すること。
紗季にも課題がある。
さらに速く、さらに正確に。
強い相手の圧力の中でも、自分のかるたを崩さないこと。
そして、女性選手の頂点へ続く長い道を歩くこと。
僕たちは、それぞれの目標を持ちながら、これからも同じ練習場に立つ。
時には競い。
時には支え。
時には負けて悔しがる。
それでも、次の日にはまた札を並べる。
ある日の帰り道。
紗季が言った。
「蓮」
「うん?」
「名人になったら、どうする?」
僕は笑った。
「まだなってないよ」
「じゃあ、なったら考えて」
「紗季こそ、クイーンになったら?」
紗季は少しだけ考えた。
「そのときは……蓮に一番に報告する」
僕は何も言えなかった。
ただ、隣を歩いた。
夕暮れの道に、二人の影が並んでいる。
昔は、兄の背中を追っていた。
今は違う。
僕は僕の道を歩く。
紗季も紗季の道を歩く。
そして、その二つの道は、しばらく同じ方向へ続いている。
名人へ。
クイーンへ。
そして、いつか二人がどんな関係になるのか――。
まだ、その答えは札の中にはない。
けれど僕は思う。
急がなくてもいい。
今は、隣にいる。
同じ夢を追いながら、少しずつ近づいていけばいい。
――第四部「決勝のあとで」 完――
次章へ続く。
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