万座の夏、僕が僕を選ぶまで 外伝 兄との再会
外伝 兄との再会
夏休みが終わり、 アルはスタンフォード大学へ戻っていた。
以前とは違う。
研究だけではなく、 テニスをし、 友人と話し、 日本語を学ぶ時間も作っている。
万座高原で過ごした夏は、 確かに彼を変えていた。
その日、 共同研究の企業との打ち合わせが予定されていた。
場所は大学内の会議室。
企業の関係者が数名並んでいる。
しかし、 会議開始時刻になっても 責任者だけが来ていなかった。
教授が言う。
「オーナー本人が来るらしい。」
「滅多に現れない人物だよ。」
アルは興味を示さなかった。
どうせまた成功した起業家だろう。
会議室のドアが開く。
全員が立ち上がった。
入ってきた男を見た瞬間、 アルは固まった。
黒髪。
整った顔立ち。
背の高い長身。
高級スーツ。
そして、 よく知る顔。
六年会っていない兄だった。
「……アレックス。」
男が振り向く。
その目がわずかに揺れた。
「アル。」
会議室が静まり返る。
誰も二人の関係を知らなかった。
教授が驚く。
「知り合いなのか?」
「兄です。」
「弟だ。」
二人は同時に答えた。
会議終了後。
兄はアルを大学近くのカフェへ連れて行った。
久しぶりの再会だった。
しかし会話はぎこちなかった。
「ケンブリッジは卒業したんだね。」
「去年。」
「会社は?」
「順調だ。」
「そう。」
沈黙。
まるで他人だった。
アルは兄を見ていた。
子供の頃の憧れだった。
何でもできる兄。
六か国語を話す兄。
勉強もスポーツも万能。
だが。
どこかおかしかった。
成功しているはずなのに、 楽しそうに見えない。
生気がない。
昔より笑わなくなっている。
アルが聞いた。
「幸せ?」
兄の動きが止まる。
「突然だな。」
「答えて。」
兄はコーヒーを見つめる。
長い沈黙。
そして小さく言った。
「分からない。」
アルは驚いた。
兄からそんな言葉を聞くとは思わなかった。
「妻はいる。」
「娘もいる。」
「息子もいる。」
「会社も成功している。」
兄は静かに続ける。
「だけど忙しい。」
「毎日仕事だ。」
「気付けば一週間、 子供の顔を見ていないこともある。」
アルは黙って聞いていた。
兄が笑う。
しかしその笑顔は空っぽだった。
「お前はどうなんだ。」
「スタンフォードの天才少年。」
「人生は楽しいか?」
昔のアルなら答えられなかった。
しかし今は違う。
アルは即答した。
「前よりずっと。」
兄が少し驚く。
「そうか。」
アルはスマホを取り出した。
去年の万座高原の写真。
祖父母。
桜井家。
真由。
みんなが笑っている。
兄が画面を見る。
何も言わない。
ただ見つめている。
「会ってないんだろ。」
アルが言った。
「父さんたちに。」
兄は答えない。
「帰れば?」
兄は苦笑した。
「今さらか。」
「家族なんてそんなもんだ。」
アルは首を振った。
「違う。」
兄が顔を上げる。
「何が違う?」
アルは静かに言った。
「帰ってもいいんだ。」
「家族だから。」
兄はしばらく黙っていた。
その表情は、 六年ぶりに見る本物の兄の顔だった。
成功者でもなく。
企業オーナーでもなく。
貴族の婿でもない。
ただの長男。
ただの兄だった。
別れ際。
兄が言う。
「アル。」
「なんだ?」
「お前は。」
「俺みたいになるな。」
アルは少し笑った。
「ならない。」
「そうか。」
兄は初めて少しだけ笑った。
本当に少しだけ。
だが六年ぶりに見た、 弟の知る兄の笑顔だった。
◇ 外伝 兄との再会 終 ◇
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